『ブンデスリーガ ードイツサッカーの軌跡ー』/フットボールのアフォリズム「書籍編」(4) : 川本梅花 Tactical Studies
体操競技がメインスポーツであった19世紀後半のドイツで、どのようにサッカーが始まったのかを調べることは至難の業のようだ。だからこれは、本当の話かどうかはわからない。歴史家のハンス・ディーター・バロートによると、ドイツにサッカーが誕生した瞬間は、1874年10月、中学校教師のアウグスト・ヘルマンが、イングランドからサッカーボールを取り寄せて、スローイングを最初に実践した時からだと話す。著者リヒテンベルガーは、イングランドからドイツへのサッカー伝播調査を
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「何度もくじけそうになる作業」と言うように、通説とは裏腹な話がいくつも存在する。
ドイツリーグはブンデスリーガ(Bundesliga)と呼ばれる。これは「連邦リーグ」の意味で、ドイツ語圏で連邦制を採用している国で行なわれる様々スポーツリーグの総称として用いられている。ドイツでサッカーのブンデスリーガが創設されたのは、1963年の西ドイツだった(1990年に東西ドイツが統一される)。映画にもなった『ベルンの奇蹟』の物語は、ブンデスリーガが創設される9年前、1954年夏の雨の日の出来事だったのだ。
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本書の「気は確かかと言ってくれ――ベルンの奇跡――」(187~211ページ)には、どれほどのドイツ人が、スイスW杯で優勝候補のハンガリーを決勝戦で打ち破ったこの勝利に沸き返ったのかを記している。W杯優勝チームが凱旋帰国する模様を、ミュンヘンの新聞は「たとえ王様でも、こんな熱烈的な歓迎を受けた人はいない」というほどの人々の歓迎ぶりを伝える。こうした国民の熱狂は、第二次世界対戦で敗戦国になったということよりも、ヒットラーが中心になって侵したユダヤ人虐殺や欧州侵略に対する罪からの"心理的解放"という意味が強かったようだ。
例えば、作家フリードリッヒ・クリスチャン・デリウスは、「ベルン の奇跡」を回想し病弱だった自分の少年時代と照らし合わせて、「自制心からも神の呪縛からも解き放たれた。これほど軽く感じたことはそれまでなかった」と自叙的小説の中で記すほどだ。
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この世代のドイツ人は、彼のように個人の境遇を戦後の西ドイツが置かれた状況の比喩としてしばしば引用する。ナチスという罪の意識にさいなまれ、抑圧されていた国がW杯優勝によって解放され再生する姿を夢に描いたとしても不思議ではない。だからドイツ人は、この勝利に対して「我われは何者かになれたのだ」という定型句を作り上げたほどだ。
当時の監督ゼップ・ヘルベルガーは、この成功の秘密として3つの要因を挙げた。①技術が3分の1、②チームの一体感が3分の1、③運が3分の1、というように。確かにハンガリーとの決勝戦は、これらすべてが揃っていた。しかし、実は監督は試合のために用意周到に準備をしていたと打ち明ける。
< br style="clear:both;height:1px;overflow:hidden;">雨を考慮して、参謀役のアディ・ダスラーは、アディダス製のスパイクに長めのスタッドを用意していた。さらに試合の数週間前に、現地に入ってピッチの状態を調べていたのだ。つまりそれは、戦う前の情報戦ですでに勝利を収めていたことになる。こうしたヘルベルガーの作業は、現在のドイツ代表にも通じるものだ。
著者は、ゼーラーやベッケンバウアー、マテウスまで、後の世代がどれほどの偉業を成し遂げてきたとしても、「『ベルンの奇跡』を実現した代表選手にかなう者は誰もいない」と言う。戦後を体験したオールドファンの頭の中には、勝利の瞬間にアナウンサーが「気は確かかと言ってくれ!」と絶叫した声が今でも響いているに違いない。
〈了〉
文 /川本梅花
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