13.アメリカ大統領の家系図
◆ 米大統領、祖先の村訪問
主要国(G8)首脳会議に合わせて欧州を歴訪するオバマ米大統領は23日、アイルランドに到着した。マカリーズ大統領やケニー首相と会談した後、母方の祖先の出身地である同国中東部の小さな村を訪問した。
靴職人の息子だったオバマ大統領の祖先はジャガイモ飢饉が続く1850年、19歳で米国に移住した。アイルランド系米国人初の米大統領、故ケネディ氏の祖先も2日後、同じ港から米国に渡ったという。
米国のアイルランド系移民は4000万人以上で、故レーガン氏、クリントン氏ら同国系歴代米大統領もアイルランドを訪れた。次期大統領選で再選を期すオバマ大統領も慣例にならった。
財政危機に苦しむケニー首相との 会談はわずか40分。その後、オバマ大統領は人口300人のマネーゴール村を訪問した。現地のパブでビール1杯を飲み干す趣向だ。同日夕にはダブリンに戻り、米国とアイルランドのつながりについて演説する。
(2011年5月24日付け産経新聞。ロンドン、木村正人氏)
[以下出典]ギャリー・ロバーツ氏編「アメリカ大統領の祖先」(1989年、カール・ボイヤー社発行)、ヒュー・モントゴメリーマシングバード氏編「バークのアメリカ合衆国大統領家族」(1981年、バークス・ピーレイジ社発行)、ウィリアム・デグレゴリオ氏著「アメリカ大統領完全本」(2001年、バリケードブックス社発行)
◆ 親子の関係
①第2代アダムズの長男が第6代アダムズ
②第 41代ブッシュの長男が第43代ブッシュ
◆ 祖父と孫の関係
第9代ハリソンの孫が第23代ハリソン
[家系図]
第9代ハリソン+アンナ・シムズ(1775年生、1864年没)
↓
ジョン・スコット・ハリソン(1804年生、1831年没。第9代ハリソンの三男。連邦下院議員)
↓ +[再婚]エリザベス・アーウィン(1810年生、1850年没)
第23代ハリソン(ジョン・スコットとエリザベスの二男)
☆ 上の写真は、第9代ハリソン(1950年7月4日発行のインディアナ准州150年の記念切手)と孫の第23代ハリソ� ��(1954年リバティー・シリーズの普通切手)
◆ 第4代マディソンと第12代テイラーは「またいとこ(はとこ。第2次のいとこ)」の関係
[家系図]
ジェームズ・テーラー(1673年生、1729年没)+マーサ・トンプソン
↓ ↓
ザカリー・テイラー フランシス・テーラー+アンブローズ・マディソン
↓ ↓
リチャード・テイラー ジェームズ・マディソン
↓ ↓
ザカリー・テイラー ジェームズ・マディソン・ジュニア
(第12代) (第4� ��)
☆上の写真はテイラー大統領の普通切手(1870年発行)とマディソン大統領の普通切手(1894年発行)
[参考]「いとこ」を「第1次のいとこ」、「またいとこ」又は「はとこ」を「第2次のいとこ」とする。以降の関係は適当な日本語がないので、「第3次のいとこ」「第4次のいとこ」「第5次のいとこ」・・・と表現する。
◆ 第26代シオドア・ローズベルトと第32代フランクリン・ローズベルトは「第5次のいとこ」の関係
[家系図]
クラエス・マーテンゼン・バン・ローゼンベルト(1658年~1660年頃没。1650年頃オランダから渡米)
↓
ニコラス・ローズベルト(1658年生、1742年没)【注】+ハイルチェ・ジャンス ・クンスト
↓ ↓
ジャコバス ジョハネス
↓ ↓
アイザック ジャコバス
↓ ↓
ジェームズ ジェームズ
↓ ↓
アイザック コーネリアス
↓ ↓
ジェームズ シオドア
↓ ↓
フランクリン シオドア
(第32代) (第26代)
【注】ニコラスは、英語社会に住んで、父「クラエス・バン・ローゼンベルト」という名に悩み、多くのオランダ家族では深く大事にされた「バン」を落とし、自らニコラス・ローズベルトと名乗り、あるいは名乗らされ始めた。ローゼンベルトが正しくどうしてローズベルトになったかはわからない。ニコラス自身がそうしたのか、彼の下手な筆跡のせい、あるいは他の人々の下手な筆跡のせいかもしれない。第32代ローズベルトは、ハーバード大学在学中に書いた論文で初期の記録についてこう述べている。「ローズベルトの名は、家族ばかりでなく、公官署の官吏の書き間違いのために、1ダースもの異なる方法で綴られている」。変わった綴りの中には、Roosinffelt、Rosewelt、Rosewell、Raasvelt、そしてRosvelltというものがある。最後に 、Rosenveltは、Roosになった。これは、通常「rose」と発音する。
[出典]アレン・チャーチル氏著「ローズベルト家 アメリカの貴族」(1965年、ハーパーアンドロー社発行)30ページ
☆ 上の写真は、第32代ローズベルトの記念切手(20世紀シリーズ、1998年発行)と第26代ローズベルトの普通切手(1922年発行)
判例の法理とは何か
◆ 「第18代グラントは第32代フランクリン・ローズベルトの親と第4次のいとこ同士(Grant was a forth cousin once removed of Roosevelt. )」の関係
[家系図]
ジョナサン・デラノ + マーシー・ワーレン
↓ ↓
ジョナサン・デラノ・ジュニア トマス・デラノ
↓ ↓
スザンナ・デラノ エフレイム・デラノ
+ノア・グラント・ジュニア ↓
↓ ↓
ノア・グラント3世 ワーレン・デラノ
↓ ↓
ジェシ・グラント ワーレン・デラノ・ジュニア
↓ ↓
グラント サラ・デラノ+ジェームズ・ローズベルト
(第18代) ↓
ローズベルト
(第32代)
◆「第8代バンビュレンは第26代ローズベルトの曾祖父母と第3次のいとこ同士(Van Buren was a third cousin three times removed to Theodore Roosevelt.)」の関係
[家系図]
クラス・ゲリテス・バンシャク
↓ ↓
エマニュエル・バンシャク ローレンス・バンシャク
↓ ↓
コーネリアス・バンシャク ジャネティ・バンシャク+ジョハネス・ホーズ
↓ ↓
コーネリアス・バンシャク・ジュニア マリア・ホーズ+エイブラハム・バンビュレン
↓ � �� ↓
マリア・バンシャク+ジェームズ・ローズベルト 第8代バンビュレン
↓
コーネリアス・ローズベルト
↓
シオドア・ローズベルト
↓
第26代ローズベルト
◆ ローズベルト大統領の家系について
[出典]ジョン・ガンサー氏著・清水俊二氏訳「回想のローズヴェルト」(昭和44年2月28日、早川書房発行)204~206ページ「家系」
ローズヴェルト家は、1640年代にオランダからニュー・アムステルダム(ニュー・ヨークの旧称)に渡って来たクラエス・マーテンゼン・ヴァン・ローゼンヴェルトという人物からはじまった・・・クラエス・マーテンゼンは、ニコラス・� �ーズヴェルトという名で知られている息子があって、彼はハイルチェ・ジャンス・クンストという女と結婚した。夫婦のなかに、ジョハネス(1689年出生)とジャコバス(1692年出生)の2人の息子が生まれ、この2人から、現在のローズヴェルト家が枝葉を伸ばし、一つの枝にはシオドア、他の枝にはフランクリンが生まれた。系図研究家によれば、FDRは少なくとも11人のアメリカの大統領[原著註、その11人は、ワシントン、2人のアダムズ、マディスン、ヴァン・ビューレン、2人のハリソン、テイラー、グラント、TR、タフトである。]と血筋がつながっていて、クラエスは5人の大統領の直系の先祖である。ローズヴェルトは自分をオランダ人と考えることを好んでいたが・・・調査の結果によれば� �FDRは約3パーセントしかオランダ人の血を持っていないので、その主要な血筋はイギリスであり、その他はフランダース、ドイツ、イタリィ、フランス、スェーデンの混血である。ローズヴェルト家の男が、時がうつるにしたがい、いっそうアングロサクソンの女と結婚するようになったのは当然のことで、ジャコバスの系統では、ハーデンブロック、ホフマン、ウォルトン、アスピウォール、ハウランド、そして最後にデラノ家の名がつき、ジョハネスの系統では、ショーツ、ボガード、ヴァン・シャーク、バーンヒール、そしてバロック家の名がついた。TRはリー家の女と、次いで、キャロウ家の女と結婚した・・・ローズヴェルト家は、彼の前の代までは、はなばなしい家柄ではなかった。現在、われわれは、「ローズヴェ ルト」が古い大家の家名であるように思っているが、実際はそうではなかった。よい家柄ではあったが、大家ではなかった・・・歴史家ジェラルド・W・ジョンスは・・・「ここに、300年のあいだ、一貫して平凡なままであった一家がある。そのただ一つの驚くべき事実は、300年のあいだ、彼らは誰の眼をもみはらせたことがなかったということである。彼らはすべて、上品で、相当に勤勉で、相当に才能があり、相当に富んでいた。その長い家系の中で、金満家の列に入ったものはわずかに1人か2人だが、施療院で生を終ったものもいない。率直に言って、彼らはすべて極度に興味のない人々であった。そして、第7代目に至って、1人ならず2人まで、アメリカ史上最大の傑出した人物を生んで、突然、花を咲かせたのである 。」
これはあなたに何を意味するのか?
◆ 血縁関係を持つアメリカ大統領
[出典]ギャリー・ロバーツ氏編「アメリカ大統領の祖先」(1989年、カール・ロバーツ社発行)261~262ページ。以下に「代数・大統領名=血縁関係にある大統領人数(血縁先)」の順で示す。
なお、初代ワシントンと第16代リンカンの項では、血縁関係を特記した。
1.ワシントン=3人(クーリッジ、フランクリン・ローズベルト、ブッシュ)《 話題 1 》初代ワシントンと第30代クーリッジ、第32代ローズベルト、第41代ブッシュとの血縁関係・・・とはいっても、相当の遠縁(以下にそれを示す。)
●ヘンリー・スペンサー(4人の大統領の共通の祖先。1477年か1478年に没)
→ヘンリー・スペンサーの第1子=トマス・スペンサー→(4代略)→ジョン・ワシントン(1634年頃生、1677年頃没)→ローレンス・ワシントン→オーガスティン・ワシントン→初代ワシントン
→ヘンリー・スペンサーの第2子=ウイリアム・スペンサー→(13代略)→ジェームズ・ローズベルト→第32代ローズベルト
→ヘンリー・スペンサーの第3子=サー・ジョン・スペンサ� �→ジェーン・スペンサー+サー・ウイリアム・コープ
→●ウイリアム・コープの第1子サー・ジョン・コープ→(13代略)→プレスコット・ブッシュ→第41代ブッシュ
→●ウイリアム・コープの第2子サー・アンソニー・コープ→(10代略)→ジョン・クーリッジ→第31代クーリッジ
2.アダムズ=4人(ジョン・クインジー・アダムズ、フィルモア、タフト、クーリッジ)
3.ジェファソン=0
4.マデソン=1人(テイラー)
5.モンロー=0
6.アダムズ=7人(ジョン・アダムズ、2人のハリソン、フィルモア、タフト、クーリッジ、フランクリン・ローズベルト)
7.ジャクソン=0
8.バンビュレン=2(シオドア・ローズベルト、フラ� �クリン・ローズベルト)
9.ハリソン=4人(ジョン・クインジー・アダムズ、タイラー、ベンジャミン・ハリソン、カーター)
10.タイラー=2人(2人のハリソン)
11.ポーク=0
12.テイラー=2人(マディソン、フランクリン・ローズベルト)
13.フルモア=10人(2人のアダムズ、グラント、クリーブランド、タフト、クーリッジ、フーバー、フランクリン・ローズベルト、フォード、ブッシュ)
14.ピアース=5人(ヘイズ、クーリッジ、フーバー、フランクリン・ローズベルト、ブッシュ)
15.ブキャナン=0
16.リンカン=2人(フォード、ブッシュ)《 話題 2 》第16代リンカンと第38代フォード、第41代ブッシュとの血縁関係・・・とはいっても、こちらも相当の遠縁(以下にそれを示す。)
●エドワード・ギルマン(3人の大統領の共通の祖先)
→エドワード・ギルマンの第1子=ブリジッド・ギルマン+エドワード・リンカン→サミュエル・リンカン→モルデカイ・リンカン→モルデカイ・リンカン・ジュニア→ジョン・リンカン→エイブラハム・リンカン→トマス・リンカン→第16代リンカン
→エドワード・ギルマンの第2子=エドワード・ギルマン→(9代略)→ドロシー・ガードナー+レスリー・キング(第38代フォードの実父)→第38代フォード
→エドワード・ギ� ��マンの第3子=メアリー・ギルマン→(9代略)→プレスコット・ブッシュ→第41代ブッシュ
17.ジョンソン=0
18.グラント=6人(フィルモア、クリーブランド、クーリッジ、フランクリン・ローズベルト、フォード、ブッシュ)
19.ヘイズ=7人(ピアース、クリーブランド、タフト、フランクリン・ローズベルト、ニクソン、フォード、ブッシュ)
20.ガーフィールド=4人(タフト、フーバー、フォ-ド、ブッシュ)
21.アーサー=0
22.24.クリーブランド=8人(フィルモア、グラント、ヘイズ、タフト、フーバー、フランクリン・ローズベルト、フォード、ブッシュ)
23.ハリソン=8人(ジョン・クインジー・アダムズ、ウィリアム・ハリソ� ��、タイラー、タフト、ハーディング、クーリッジ、カーター、フォード)
25.マッキンリー=0
26.ローズベルト=3人(バンビュレン、フランクリン・ローズベルト、ブッシュ)
27.タフト=14人(2人のアダムズ、フィルモア、ヘイズ、ガーフィールド、ベンジャミン・ハリソン、クリーブランド、ハーディング、クーリッジ、フーバー、フランクリン・ローズベルト、ニクソン、フォード、ブッシュ)
28.ウィルソン=0
29.ハーディング=5人(ベンジャミン・ハリソン、タフト、ニクソン、フォード、カーター)
30.クーリッジ=13人(ワシントン、2人のアダムズ、フィルモア、ピアース、グラント、ベンジャミン・ハリソン、タフト、フーバー、フランクリン・ローズベルト、ニク� �ン、フォード、ブッシュ)
31.フーバー=9人(フィルモア、ピアース、ガーフィールド、クリーブランド、タフト、クーリッジ、ニクソン、フォード、ブッシュ)
32.ローズベルト=15人(ワシントン、ジョン・クインジー・アダムズ、バンビュレン、テイラー、フィルモア、ピアース、グラント、ヘイズ、クリーブランド、シオドア・ローズベルト、タフト、クーリッジ、ニクソン、フォード、ブッシュ)
33.トルーマン=0
34.アイゼンハワー=0
35.ケネディ=0
36.ジョンソン=0
37.ニクソン=9人(ヘイズ、タフト、ハーディング、クーリッジ、フーバー、フランクリン・ローズベルト、フォード、ブッシュ)
38.フォード=14人(フィルモア、リンカン、グラント、ヘ� �ズ、ガーフィールド、クリーブランド、ベンジャミン・ハリソン、タフト、ハーディング、クーリッジ、フーバー、フランクリン・ローズベルト、ニクソン、ブッシュ)
39.カーター=4人(2人のハリソン、ハーディング、ニクソン)
40.レーガン=0
41.ブッシュ=15人(ワシントン、フィルモア、ピアース、リンカン、グラント、ヘイズ、ガーフィールド、クリーブランド、シオドア・ローズベルト、タフト、クーリッジ、フーバー、フランクリン・ローズベルト、ニクソン、フォード)
◆ 第17代、第36代の両ジョンソン
同姓のこの2人の大統領は、残念ながら血縁関係にはない。
タイと何の5つの主要都市はそれについて非常に重要である
◆ 第44代オバマは、9人の大統領と血縁関係
家系図研究家ギャリー・ロバーツ氏によると、その9人とは、第4代マディソン、第9代ハリソン、第23代ハリソン、第33代トルーマン、第36代ジョンソン、第38代フォード、第39代カーター、第41代ブッシュ、第43代ブッシュである。
なお、第9代、第23代の両ハリソンとは、「十中八九」関係がある、としている(2009年2月16日のインタビューによる)。
◆ 第3代ジェファソンの末裔
[1]ジェファソンの長女マーサ・ジェファソン(1772年9月27日生、1836年10月10日没)< /span>とその夫トマス・マン・ランドルフ(1768年5月17日生、1828年6月20日没)の子供(1.から12.まで。名前の後のかっこ内の数字は、左が1826年までにもうけた子供の人数、右が1826年以降にもうけた子供の人数)
1.アン・キャリー(4人・0人)
2.トマス・ジェファソン(7人・6人)
3.エレン・ウエルズ[夭折]
4.エレン・ウエルズ(1人・5人)
5.コーネリア・ジェファソン[未婚]
6.バージニア・ジェファソン(1人・2人)
7.メアリ・ジェファソン[未婚]
8.ジェームズ・ジェファソン[未婚]
9.ベンジャミン・フランクリン(0人・3人)
10.メリウエザー・ルイス(0人・1人)
11.セプティミア・アン(0人・5人)
1� ��.ジョージ・ウイス[子供なし]
[2]ジェファソンの二女マリア・ジェファソン(1778年8月1日生、1804年4月17日没)とその夫ジョン・ウエイルズ・エップス(1773年4月7日生、1823年9月15日没)との子供(13.から15.まで。名前の後のかっこ内の数字は、左が1826年までにもうけた子供の人数、右が1826年以降にもうけた子供の人数)
13.[夭折]
14.フランシス(2人・11人=初婚で4人、再婚で7人)
15.マリア[夭折]
[出典]デューマス・マローン教授著「ジェファソンとその時代 モンティセロの聖人」(1981年、リトル・ブラウン社発行)巻末付録Ⅰ「トマス・ジェファソンの末裔」
[参考]第3代ジェファソン夫妻には、� ��マーサ・ジェファソン嬢(1772年生、1836年没)を通して11人の孫、35人のひ孫がおり、現代では2,000人を超える子孫がいる。
◆ 第3代ジェファソンの黒人子孫
ジェファソンには彼が所有する女性黒人奴隷サリー・ヘミングス嬢との間に私生児がいるとの主張は、ジェファソンが大統領就任後の1802年に初めてなされた。ジェファソンは何の反応も示さなかったという。ちなみに、サリー嬢は、ジェファソン夫人(1748年生、ジェファソン39歳の1782年没)の父親ジョン・ウエルズ氏とその女性黒人奴隷エリザベス・ヘミングス嬢との間に生まれた私生児であり、したがって、サリー嬢とジェファソン夫人は、異母姉妹の関係となる。
1873年、一人の若者が新聞記者に� ��分の父親はジェファソンだと打ち明けた。しかし、1年もしないうちに反論が起こった。
1948年から1981年にかけて6巻もののジェファソン伝を書いた高名な歴史家デューマス・マローン氏は「猥談」として無視した。
1974年、女性作家のフォーン・ブロディ氏が「トマス・ジェファソン 個人的歴史」で本件を取り上げ議論が再燃した。
1998年、英国の自然科学雑誌「ネイチァー」が、ジェファソンの子孫の協力を得て、DNA型鑑定を実施したところ、ジェファソンは女性黒人奴隷サリー嬢との間に少なくとも1人の子供をもうけたとの事実を裏付けたと報じるに至った。それによると、ヒトの男性だけに存在し男系によって遺伝する「Y染色体」という遺伝子があり、ジェファソン家において� ��、次のように受け継がれたとのことである。以下この「Y染色体」を《Y》と略記する。
☆第3代ジェファソンの祖父トマス・ジェファソン には2人の息子がいた=①と⑧へ
①第3代ジェファソンの父ピーター・ジェファソン(1707年生、1757没)《Y》
↓
②第3代トマス・ジェファソン(1743年生、1826年没)《Y》
+サリー・ヘミングス(1772年生、1836年没)
↓
③エストン(サリー・ヘミングスの一番下の息子。1808年生、1852年没)《Y》
↓
④ビバリー・ジェファソン(エストンの末っ子。1838年生、1908年没)《Y》
↓
⑤カール・スミス・ジェファソン(ビバリーの息子。1876年生、1941年没)《Y》
↓
⑥ウィリアム・マジル・ジェファソン(カールの3人の息子の一人。1907年生、1956年没)《Y》
↓
⑦ジ� �ン・ウィークス・ジェファソン(ウィリアムの息子。1946年生)《Y》
⑧第3代ジェファソンの父ピーターの兄(第3代ジェファソンの伯父)フィールド・ジェファソン(1702年生、1765年没)《Y》・・・・・(中略)・・・・・→⑨フィールド・ジェファソンの子孫の一人(男性)《Y》
[結論]
⑦ジョン・ウィークス・ジェファソンのY染色体《Y》と⑨フィールド・ジェファソンの子孫男性のY染色体《Y》が一致した。
したがって、第3代ジェファソンはサリ-嬢との間に少なくとも一人の子供をもうけたことが実証されたのである。
[参考文献]シャノン・ラニア氏イ ンタビュー&文・ジェーン・フェルドマン氏写真、千葉茂樹氏訳「大統領ジェファソンの子どもたち」(2004年4月30日、晶文社発行)
(^^)/《リンク》→ジェファソンの生家モンティセロ
◆ 第16代リンカンの子孫
[出典]1985年12月26日(木)付け讀賣新聞
「リンカーン直系の血筋がとだえる ひ孫の老人死去」【サルーダ(米バージニア州)25日=UPI共同】米国16代大統領エイブラハム・リンカーン直系のただ一人の子孫だった老人がクリスマスイブの24日、長期療養の末、バージニア州サルーダの老人ホームで静かに息を引き取った。
死んだのはリンカーンのひ孫ロバート・トッド・リンカーン・ベックウィスさん。81歳。遺族はマーガレット夫人だけ。ロバートさんの母親ジェシー・リンカーン・ベックウィスさんはリンカーン大統領の孫の一人だった。
ロバートさんは、顧問弁護士によると� ��生涯自分で稼ぐことがなく、専らリンカーン家の遺産で幸せに暮らしていたという。住まいは同州ハートフィールドのウッドストックという名の農園だったが、数年前から老人ホームに入っていた。
[家系図]
第16代リンカン(1809年生、1865年没)《1842年結婚》メアリ・トッド(1818年生、1882年没)
【リンカンの長男】ロバート・トッド(1843年生、1926年没)《1968年結婚》メアリ・ハーラン
【リンカンの孫=ロバートの長女】メアリ〈マミー〉(1869年生、1938年没)
《1891年結婚》チャールズ・イッサム
【リンカンのひ孫=メアリの一人息子】リンカン� �イッサム(1892年生、1971年没)
【リンカンの孫=ロバートの長男】エイブラハム2世〈ジャック〉(1873年生、1890年没)
【リンカンの孫=ロバートの二女】ジェシー・ハーラン(1875年生、1948年没)
《1897年結婚》ウォレン・ベックウィス
【リンカンのひ孫=ジェシーの長女】メアリ・リンカン〈ペギー〉・ベックウィス(1898年生、1975年没)
【リンカンのひ孫=ジェシーの長男】ロバート・トッド・リンカン・ベックウィス(1904年生、1985年没)
【リンカンの二男】エドワード・ベイカー〈エディー〉(1946年生、1850年没)
� ��リンカンの三男】ウィリアム・ウォレス〈ウィリー〉(1850年生、1862年没)
【リンカンの四男】トマス〈タッド〉(1853年生、1871年没)
[出典]マーク・ニーリー氏・ハロルド・ホルツァ氏共著「リンカン家のアルバム」(2006年、南イリノイ大学出版会発行)xxvi~xxvii
◆ 第28代ウィルソンの第二夫人の家系
[出典]ギャリー・ロバーツ氏編「アメリカ大統領の祖先」(1989年、カール・ボイヤー社発行)266ページ
第28代ウィルソンの再婚相手イーディス・ボーリング夫人の祖先はポカホンタスである。
[家系図]
ポーハタン(1618年没)
↓
ポカホンタス(1617年没)+ジョン・ロルフ
↓
トマス・ ロルフ
↓
ジェーン・ロルフ+ロバート・ボーリング(1646年生、1709年没)
↓
ジョン・ボーリング〔ポカホンタスのアメリカ人ただ一人のひ孫〕+メアリー・ケニオン
↓
ジョン・ボーリング・ジュニア
↓
ジョン・ボーリング3世
〔バージニア植民地議会議員〕+メアリー・ジェファソン〔第3代ジェファソンのすぐ上の姉〕
↓
アーチボルド・ボーリング
↓
アーチボルド・ボーリング・ジュニア
↓
ウィリアム・ボーリング
↓
イーディス・ボーリング夫人(1896年、首都ワシントンの宝石商ノーマン・ガルト氏と結婚。同氏は1908年没)
+第28代ウィルソン< span>(1915年12月18日、首都ワシントンで再婚。その時、ウィルソンは58歳、イーディス夫人は43歳だった。なお、最初の妻エレン夫人は25歳のときウィルソンと結婚、3女をもうけたが1914年、54歳で死亡した。)
※ ちなみに、イーディス夫人は1961年1月、ケネディ大統領の就任式に参列、同年12月28日(この日はウィルソンの105回目の誕生日に当たっていたが)亡くなった。彼女はワシントン大聖堂で大統領とともに眠っている。
◆ 第33代トルーマンの誤解
→ 第33代トルーマンは、ある友人に宛てた手紙の中で、第10代タイラーの話題に触れ、姻戚関係をこう記している。「私の曾祖母はタイラーの第1次のいとこです。タイラーの父親の兄弟の一人が� ��ンタッキーに移住したが、私の曾祖母は彼の娘だった・・・」[出典]ウィリアム・ヒルマン氏著「ハリー・S・トルーマン 自らを語る」(1984年、ボナンザブックス社発行)39ページ
→ しかし、デイビッド・マックロー氏はその著書「トルーマン」(1992年、サイモン・アンド・シャスター社発行。355~356ページ)の中で「トルーマンは、大統領の死によって大統領職を引き継いだ7番目の副大統領だった。現職大統領の死によって大統領となった最初の副大統領はバージニア州出身の第10代タイラーだった。トルーマンは、トルーマンの曾祖母ナンシー・タイラー・ホームズを通じてその第10代タイラーと血縁関係があると誤って信じていた。」と述べている。
< br/>☆ 上の写真は第二次世界大戦小型シートのトルーマン大統領(1995年9月2日発行)
◆第20代ガーフィールドのやしゃご(曾孫の子)と第23代ハリソンの孫が結婚
[出典]ヒュー・モントゴメリーマシングバード氏編「バーク氏のアメリカ合衆国大統領家族」(1981年。バークス・ピーレッジ社発行)346ページ、387ページ
第9代ハリソン
↓
第20代ガーフィールド ジョン・スコット・ハリソン
↓ � �� ↓
ジェームズ・ルドルフ・ガーフィールド(第26代ローズベルト・ 第23代ハリソン[1896年再婚]
+ヘレン・ネウェル 第27代タフト政権下で内務長官) +メアリ・スコット
↓ ↓
ネウェル・ガーフィールド+メアリ・ウヤット エリザベス・ハリソン+ジェームズ・ウォーカー
↓ ↓
ネウェル・ガーフィールド・ジュニア[1961年再婚] + (メアリ)ジェーン・ハリソン (1929年生)
(1923年生) ↓
エリザベス・ネウェル・ガーフィールド(1962年生)
※エリザベスは、3人の大統領の血をひいていることになる。
◆ 第34代アイゼンハワーの孫と第37代ニクソンの令嬢が結婚
第34代アイゼンハワー
↓
ジョン・アイゼンハワー 第37代ニクソン
↓ ↓
ドワイト・デイビッド・アイゼンハワー2世 + ジュリー・ニクソン・・・1968年12月ニューヨーク市で結婚
(1948年生) (1948年生。ニクソンの次女)
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